収束と終息

こんにちは。藤沢の歯医者「おだがき歯科クリニック」の小田柿です。

新型コロナウイルス関連のニュースで毎日が埋め尽くされていて、日々を過ごす方々の悲鳴や不安の声を聞くたびに、いつこの事態がしゅうそくするのだろうかといろいろと考えてしまいます。

そんな時、
ふと、コロナしゅうそくに使われる「収束」と「終息」の使い分けについて気になったので、ある種のどうでもよいことなのですが、これでも息抜きくらいにはなるかなと思い、興味本位で調べてみました。

□辞書によると

収束とは「分裂・混乱していたものが、まとまって収まりがつくこと。また、収まりをつけること。」とあります。

一方、終息とは「物事が終わって、やむこと。」とあります。

ものすごく簡単にいうと、

「収束」は落ち着くこと

「終息」は終わること

今回の新型コロナウイルスのパンデミックに照らし合わせると、

例えば、緊急事態宣言が発令され、1日あたりの感染者数が減少傾向になり、社会情勢を鑑みたときに、新型コロナウイルスによる混乱状態が落ち着いたと判断出来るような場合に「収束」が使われ、

新薬に加えワクチンも開発され、新型コロナウイルスの新規発症がなくなったと判断された場合に「終息」が使われる

ということですかね。

ですが、「しゅうそくに向かう」として感染者数0にベクトルを向けた使い方をした場合「収束(0に近づく)」と「終息(0になる)」は同じようなことにも感じるので、日常的に用いる場合、完全に使い分けることは難しいようで、「どちらでも良い」というのが正しいのかもしれません。

ですが、
もう少し、調べていきますと、

「収束する」は、自動詞・他動詞の両方として使われるということで、

自動詞として、「事態が収束する」だけでなく、

他動詞として、
つまり「(人が)事態を収束する」という形も取り得るということです。

自動詞のみの「終息する」に比べると、「収束」の方が人為的なニュアンスを帯びます。

政策や指導によって意図的に事態をおさめよう、という場合には「収束」がしっくりきます。
ということは、ワクチンの開発による感染者の減少は、「収束」を使うということになりそうです。

そして、時間経過と共に、新型コロナウイルスの感染が自然に下火になってなくなった場合には、「終息」の方が適切に感じます。

まとめると、
「収束」は新型コロナウイルス騒動がひとまず落ち着く状態をさし、「終息」は新型コロナウイルス感染が限りなく完全になくなる状態をさすと言えます。
時系列順で考えると政策やワクチン開発など、人々の努力によって「収束」をさせてから自然界から新型コロナウイルスの感染がなくなることで「終息」することになります。

大きな解釈では、どちらの「しゅうそく」を使っても間違いではありませんし、場面によって使い分けることもあるかと思います。

ということで、以上「しゅうそく」とはについて自分なりに調べてみた件でした。

最近は、コロナ疲れといいますか、精神的に重苦しく感じてしまうことも多いですが、
自覚を持った行動をひとりひとりが心掛け、まずは1日も早く騒動が「収束」に向かうことを目指しましょう。
そして、スタッフや仲ののいい友人達と、こんな他愛のない話をしながら、普通に街を出歩いて、買い物したり、食事したりと、笑って楽しく過ごせるような日々が再び訪れることを願っています。